日本の芸術を愉しむ: はじめてのいけばな

日本の「芸術」というと、何が思い浮かびますか?

大好きな方は色々と出てくると思いますが、ふだん、あまり意識されてない方も多いかもしれません。

海外からの観光客が「体験したい!」「行きたい!」と思うのは、日本ならではのもの。

・自然(海、山、川)
・歴史(モニュメント、建物、場所)
・文化(ライフスタイル)

そして….

・芸術!

ここ10年、美術館・博物館の展示で、人気の企画は「日本もの」が多くなりました。

江戸時代の画家の伊藤 若冲は、すっかり大人気です。
カルチャー女子の間では、器がちょっとしたブームにもなりました。
歌舞伎は、有閑マダムの大好きな娯楽でもあります。

考えてみると、一口に、芸術といっても、広く、様々なジャンル・形態のものがありますよね。

中でも、海外に行った時にかんたんに実演もできて、他の文化圏とは異なる「感性が何か」を、かんたんにカタチから説明できるのが「いけばな」です。
最近はテレビ番組『プレバト』でも親しまれてますね。

「いけばな」の美しさの真髄は、どこからくるのでしょう?

よろしければ、このブログの写真をご覧になって、ちょっと感じてみてください。

自然のお花との違いはなんでしょうか?

何種類か、草木をつかっています。
バラ、リューコマリーネ、カスミ草、モンステラです。

このお花の組み合わせ、こういうカタチで、一緒に咲いてることは、自然界にはありえないですよね。

このような角度や構成にできるのは、なぜでしょうか。

写真からは見えませんが、花器(かき)(切り花をいける容器)の中に剣山(けんざん)と呼ばれる、太い針が上むきになっている針山の道具があります。それを用いるから、草木の根本を固定できるのです。

剣山(けんざん)。

つまり、これらは「切り花」です。

自然に咲いてるものを、わざわざ切ってます。
わざわざ切るからには、その日、出会った一期一会をいかす。
だから、「いけばな」と呼ばれます。

一木一草みて、想像力をはたらかせて、さらに美しいものにする。
花器の上に、理想を表現する。

それには、思考を滅し、こころが静かな、まっさらな状態で真摯にお花に向かいます。

決して力を入れるものではありませんが、「華 ” 道 ” 」として、” 道 ” = ” 修養 ” であるとみなさるのは、それが理由だそうです。

「いけばな」には、たくさんの流派があります。
流派の違いは、いけばなの考え方と様式の違いです。それぞれ魅力的ですが、もっとも大きい3つの流派が「いけばな三代流派」と言われています。さらに、3つのうちもっとも歴史が古いのが京都発祥の「池坊(いけのぼう)」です。

「池坊」は、室町時代から続く最古の様式「立花(りっか)」による型の美で知られています。しかし、完成した型があるだけに、さいしょは自由花(自由にいける)から、まずスタートします。

自由花では、その日の花材は決まってるものの、「え?自由?」…と、頭が白くなって、どうしたらいいかわからず手が止まるのが、頭の硬くなった大人です。

それから、花材。
好き嫌いってありますよね。
別の人がいただいていた、ちょっと渋いお花のほうが好みだな、いけてみたいな、なんて一瞬、思う。

でも

いったんスイッチが入り、その日、一期一会の草木に集中してみると、自分の好き嫌いの癖は、滅します。

なぜならば、

この草木から

なにか、語りかけてくるものがあるのです。
なにか、カタチになりたがるモノがあるのです。

それは、せっかくのお花とのご縁だから、一緒に見つけたい、美の理想とも言えるものかもしれません。

私の場合、それを「絵(ビジョン)」のようには感じません。
何かカタチを超えたところで踊っている生き生きとした流れ・爆発のように感じます。

こういった感覚は人によると思いますが、だからなのか?

「いけばな」では、草木のカタチをつくるのではなく、草木のある「空(空間)・時(時間)」をつくります。

対して、欧米のフラワーアレンジメントでは、人が主役で草木をコンポジションし、360度全方向からみられるように、花材のカタチを凝縮してつくります。これが、欧米とは異なる感性です。

花材に集中し、手を動かすと、理想の「空・時」があらわれてきます。
同じ草木を用いても、いける人それぞれ、異なります。

それが「いけばな」の美ではないでしょうか。

梅澤さやか