庭・能の表象文化研究者である原 瑠璃彦さんが主催してます『庭めぐりの会』で、月1回、日本庭園を主にまわっています。
….というお話を、初めて会った方にすると、日本人は「それは、面白そうですね!」と反射的に返してきます。ほぼ、100%の確率です。
そこで、「お庭の何が面白そうですか?」と聞くと、「なんとなく」という答えが返ってきます。これは面白い現象だと思いました。日本人にとって、「庭」は何か「ピン」とくる集合的感性に触れるモノがあるらしい。
庭をめぐっていくると、初対面の人でも話がしやすくなります。
疲れていても、軽くなります。色々なタイミングが合いやすくなります。
それは、何故なんでしょう?
このブログをお読みのみなさまとご一緒に、そういう感性をひらいていけたら、未来の日本に残す風景も変わっていくのでは?と、そんな思いから、このシリーズでは、お庭めぐりの不思議な魅力をご紹介していきたいと思います。
「表の顔」は、どっち?
最初にとりあげたいのは『迎賓館 赤坂離宮』です。
ご存知、国の賓客をおもてなしする最高クラスの接遇施設です。

ヴェルサイユ宮殿のグラン・トリアノン宮殿を参考にして作られたそうですが、ヴェルサイユやルーヴルに比べると恐ろしいほど軽やかです。
こちらの本館の門は、JR・四谷駅の近くに位置しています。
見学者が入るのも、この四谷サイドからですから、こちらが「表の顔」と言えるのではないでしょうか。


『迎賓館 赤坂離宮』というと、思い浮かべる顔は、このネオバロック様式の洋風パレスですよね。しかし、今回ご紹介するのはこの本館ではなく、和風別館「游心亭」です。

出典:内閣府迎賓館ウェブサイト
「トランプ大統領が来日した際に安倍首相と一緒に鯉の餌やりをおこなった場所」と聞くと、映像で見覚えのある方も多くいらっしゃることでしょう。
「游心亭」は、海外からの要人を迎える際によく使われます。
東宮御所の設計で知られる谷口吉郎が建築をてがけました。NY近代美術館(MoMA)や銀座のGINZA SIXを手掛けた谷口 吉生のお父さんです。
一般的にはあまり知られていませんが、 赤坂見附に近い東門から「游心亭」に直接入ることができます。ここが、海外要人にとっての「表の顔」になるんですね。

氣の層がなめらかに変化する導線
この東門から「游心亭」に入っていく導線が、とても気持ち良い。
東門から「游心亭」の玄関を通って内部に向かうにつれ、少しずつ外氣から内氣へ、グラデーションのように氣の層がなめらかに変化して、内側にスーッと吸い込まれるような感覚になります。
門に入ると、ほどなく「游心亭」の玄関があります。
玄関から「游心亭」の建物に入るまで、石の渡り廊が続いています。
渡り廊の右手に沿って坪庭があります。
ここにいらっしゃるゲストが接する初めてのお庭です。
この「渡り廊を通り、そこから見やる坪庭」が、さりげなく重要な役割を果たしています。
渡り廊の水打ちで、時間感覚が変わる。
ガイドの方に伺ったのですが、ここにいらっしゃる海外の賓客は、極めて多忙。分刻みのスケジュールで、前後の予定を切り詰めて訪問しています。
滞在できる時間が決まってるばかりでなく、その時間で、門をいつ通過し、どこの部屋に入って、何をやって…という進行が、細かく設定されているそうです。そして、周りには厳重警備をおこなうSPやスケジュールを管理するスタッフたち。
せわしないですね。
そんなゲストが、最初に通るのが、渡り廊です。
そこには水打ちがされていていて、落ち着いて穏やかな気持ちになります。
わたしが訪れた際は36度超え(!)の暑い日だったので、涼を感じたからの落ち着きでもありつつ、違う時間層にはいった感覚になりました。
水打ちは神様が通る道を清めるためにおこなわれたそうなので、清められた場と共鳴して、自然に居ずまいが正される気もします。居住まいが正されると、集中力が増すので、時間感覚って変わりますよね。
ニュートラルな空気密度で、自然に心が「ぽかん」と空く
その意識状態から、すぐに視野にはいってくるのが、坪庭です。
節の太い立派な孟宗竹が植栽され、京都の白川砂や、貴船石(京都の貴船川に産出する青みがかった花崗岩。庭石では名石として知られる)を置いています。
「枯山水」(水を用いずに、砂・石などにより山水風景を表現する様式)です。
人が自然をコントロールして、中心から広がるカタチを作る欧米デザインとは異なり、精神的理想の風景を、あるような・ないような。ないような・あるような。そんな塩梅で抽象的に表しています。
庭には、人間がくっきりと掴める「メッセージ」なんてありませんもんね。
作庭した側にメッセージがあっても、庭になった時点で、ぐっと抽象化されてしまいます。それが庭の魅力であり、説明するのが難しい点だと、私は個人的に感じてます。
だから、説明するより、体験するのが早い。
しかし、だからといって、雑な体験ではもったいない。皮膚の穴をすべて開いて微細なことをキャッチできる感性が問われます。
行ってみたら、重くも軽くもないニュートラルな空気密度が生み出されてることで、自然に心が「ぽかん」と空く体験ができると思います。イソップ物語の「太陽と北風」で、旅人が自然に重いコートを脱いだような状態になるのです。
早足で駆け入るように入るゲストもいると思いますが、ここを「通る」だけで、サーっと気構えがおろされていくのではないでしょうか。
門から建物の中に入るまでの「間(はざま)」に位置して、外側でも内側でもない「坪庭」は、違う文化圏からの訪問者がギャップを意識しすぎず、その人なりにくつろげる仕掛けとして、大きな役割を果たしているように思いました。

次はどこの庭をめぐりましょうか?
梅澤さやか

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