衣服空間: シャネルとジャージー素材

あなたは、どういう時に「服を買おう」と思いますか?

いつも着ているスーツや休日のイージーウェアがヨレてきた時?
トレッキングするための機能的で軽い専門的なウェアが必要な時?
インスタで見た洋服がかっこよくて、ちょうどセールになってる時?

– 機能・品質
– 社会の中での見え方
– コスパ
– こんまりさんが言うところのトキメキ

いろんな動機や価値観で、買ったり・処分したりしますよね。だけど「なんで、この服を着ているか」なんて、あらためて分析したりしないものだと思います。

一方、「衣服」をまとうことによって、着ている自分の気持ちが変わる体験は、誰でも感じたことがあるのではないでしょうか。

しかし、人が衣服をまとうことで互いに共鳴しあうような「感性体験」を紐解いてみると、衣服のカタチの向こうで動いている層に気づき、私と衣服の生み出す空間に気づきます。そこに自覚的にかかわっていくことによって、人と衣服のかかわりは、もっとスリリングで面白くなるのではないかと私は考えます。

Suit,1938, House of Chanel French,Gift of Diana Vreeland, 1954, Author, Source & (c):www.metmuseum.org

地下倉庫のアーカイブを求めて。

東京に、世界中のトップデザイナーや富豪が訪れるヴィンテージ・ショップがあります。その名も「EVA fahion art」。

ここ数週間でも、世界的なメゾンC、メゾンG、デザイナーチームAが、立て続けに訪れたそうです。何故でしょうか?

つくり手である彼らは、こぞって知る人ぞ知る「EVA fashion art」の地下倉庫に眠る「アーカイブ」を求めにやってきます。

制服や軍服などのユニフォームから、シャネル、サンローラン、ディオールなどのビッグメゾンまで。現在、私たちが見慣れてるデザインの起源となる衣服は「アーカイブ」と呼ばれます。今、私たち着用する衣服デの多くは、過去の「アーカイブ」にアレンジを加えた物です。

現代の衣服のつくり手は、衣服という「カタチ」に集約された創造と必然のパズルを紐解き、自分たちなりの服づくりに活かすために、本当に熱心に「アーカイブ」を研究します。

中でも、美術館がコレクションをおこなうまでの「アーカイブ」は、歴史の中でお価値が高い選りすぐりの殿堂入りもの。MET(メトロポリタンミュージアム)や、日本なら京都服飾文化研究財団のアーカイブが有名です。

美術館のアーカイブは、ガラスの向こうにしか見ることができません。一方、まだ手にとって触れることができてアヴェイラブルな金額のお宝アーカイブをみつけられるのが、「EVA fashion art」のような目利きのヴィンテージショップです。

世界中から買いつけられたきたアーカイブ性の高い衣服が集まる場所は、世界の最先端のつくり手やアーティスティックなモノづくりを愛するリッチな人の間で、ひそやかに「訪れたい聖地」として熱い噂が広がるのです。

購入したアイテムを買って帰って、パーツをバラバラにして研究するザイナーやパターンナーさんも良くいます。そういう「研究」をしっかりして活かしてるモノづくりと、そうでないモノづくりは、見るとはっきり違いが分かります。

「アーカイブ」としてのシャネル

Ensemble,ca. 1927, House of Chanel French,
Purchase, The New York Historical Society, by exchange, 1984. Author, Source & (c):www.metmuseum.org

たとえば、こんな「アーカイブ」があります。

シャネルの創始者のココ・シャネルは、それまで労働服や男性下着に使われていたジャージー素材(メリヤス編みの天竺生地)を史上初めて婦人服に取り入れました。

1916年、ココ・シャネルは、男性用下着素材のジャージーのストックを、大量に買取りました。そして作られたのが、ジャージー素材を活かしたドレスやジャケットや膝丈下のスカートです。それらは革新的なシャネル・デザインの定番の1つになりました。

イメージソースは、馬の調教師や水夫などの労働者。柔軟で耐久性が高いから、動きやすく、丈夫。しかも安価。徹底的に削ぎ落としたフォルムと仕立てのミニマルさは、衝撃的にエレガントでした。女性の高級服はシルクやサテンで作られ、足をおおうフルレングスに、ひらひらフリルがついてるのが女性らしくもてはやされていた時代です。

第一次大戦を経て、高級素材が手に入りにくなり、女性も労働従事する場面が増えてくると、安価でウェアラブルなシャネルのジャージー服は、アメリカで大人気になりました。

3時間「アーカイブ」探しをする理由

興味深い歴史ですよね。

ここまでは調べれば、ネットや文献で写真をみることもできますし、誰でも手に入る情報です。

「EVA Fashion art」オーナーの宮崎 聖子さんは「初めてシャネルのジャケットに手を通した時、雷に打たれた。誤解を呼ぶ言い方だけど、今まで自分が着てた服が、まるで “ゴミ” のように感じた」と話していました。それが、仕事をはじめるきっかけになったそうです。

現代は「ロゴ」の時代です。東京オリンピックの一件のように「ロゴ」の形に人が大騒ぎします。現在のシャネルの「CC」は、メゾンの伝説とココ・シャネル伝説によって最強にインパクトを与えるロゴの1つです。

だけど、シャネルのジャージー服が「アーカイブ」たる所以は、これだけでは立体的に理解できない。そう考える世界屈指のつくり手たちが、メッカ参りのように「EVA fashion art」に足を運び、3時間も4時間も(!)夢中になって、レアデータである衣服の実物に触れるのです。

アメーバになる感覚

柔軟で軽く丈夫なジャージー素材をつかったジャケット。

私自身も、「EVA Fashion art」で、似たような体験をしました。

ココ・シャネルの死後、彼女の服づくりをまじめに継承したのが、「スーパー・ディレクター」であるカール・ラガーフェルド就任前の70年代シャネルでした。

その時代のジャージーのジャケットとセットアップのパンツを、試着した時のこと。やはり、雷に打たれました。正確に言うと、雷が走りました。

そして、次に訪れたのが「ふわっ…..」という軽くて、広がる感覚。
肩はパッドが入っていながら無理な張り出しがなく、腕の可動域が広い。そして、しなやかに動かせる。パンツは存在感すらなく羽のようです。肩も胸も足も軽く、肺が自由に呼吸します。

驚きました。



自由になったのは、カラダと精神です。
社会の中で硬くなった「ラベル」という殻が脱げて、自分のカタチがぐにゃぐにゃと柔らかいアメーバのような感覚になりました。


このアメーバの自分で動いたらどんなことが起こるのかな?面白い!外にでかけたくなりました。衣服とともに、新しい自分が呼吸し、ともに生きてるようでした。


生きている衣服をまとったら、衣服が運ぶ息吹が自分に吹き込まれた体験です。


これを考案してカタチにした人(ココ・シャネルと、死後直後にそれを継いだチーム)は、どんな効果を起こしたいか意識的だったんだ。それを逆算して適した素材を選びカタチに落とし込んだのだと、確信しました。

Coco Chanel,1930s, Adolf de Meyer American, born France, (c)Rogers Fund, 1974, Author, Source & (c):www.metmuseum.org


衣服は濃密な「情報」を運ぶ

今では当たり前になったジャージー素材。より柔軟で耐久性が高いハイテク素材もたくさん出てきました。しかし、現代の「着やすい服」を着た時にも、体験したことがない感覚でした。

人の皮膚や毛穴の感覚を通して伝わる「情報」は、人の認識する知性よりはるかに高速で濃密な場合があります。だから、「アガる!」服には、人は敏感です。時代や文化が変わる時、言葉よりも先に衣服を通して気風が伝わります。

可視と不可視のあいだを鮮やかにつないでいる衣服。ココ・シャネルは、眼に見えないけど肌で伝わる強烈な「社会ルールを外して自由に動く精神」をキャッチして、それを衣服というメディアとしてデザインし、それを潜在的に求めている女性たちに広く広めた。今だに、彼女のレシピの通りに作られた衣服をまとうと、本当に知性の検閲が解除され、「自分はこうもの」ですと思っていたカタチが融解しはじめるのです。歴史もその功績を伝えていますが、時代を超えて今だにその効果が発揮されてるとは。

衣服は生きています。そして、それを生み出す作り手は、まるで魔法使いですね。次回も、そんな衣服と魔法使いたちをご紹介していきます。

梅澤さやか