目録:ポップを食い破る『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』

脳の屋根裏部屋

いったい、この人の頭の中で、何が爆発しちゃったんだろう、ね?



ため息のように、そんな言葉がついて出た。
5分間ほど息を詰めてその大作ペインティングを見ていた友の横顔をみると、彼女も言葉なく、ただ頷いた。

東京・森ビルの52階に位置する森アーツセンターギャラリー。

目の前にあるのは、ジャン=ミッシェル・バスキアの大型作品で、シャーロック・ホームズならさしづめ “脳の屋根裏部屋” とでも呼びそうな「情報空間」を描いた作品。オーナーは、ルイ・ヴィトン財団で、滅多に展示されないという。(※註)

(※註) ルイヴィトン財団は、2018年10月〜19年1月にバスキアの個展を行っている。

▶︎JEAN-MICHEL BASQUIAT EXHIBITION AT FLV
▶︎ARTIST PAGE ON FLV

“Untitled ” 1986, Jean-Michel Basquiat,
Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York

溶解する ” Untitled(無題)”

「こういうのは、出した方がいいよ。うん。」



と、クールに私の友達は呟いた。


私たちが長い時間眺めていた作品は、上の写真のもの。

バスキアの多くの作品がそうであるように、”Untitled(無題)” となっている。こどもの落書き風の荒々しい筆致で書かれたテキスト郡は、作家の最も特徴的スタイル(※註)と言えるだろう。

真ん中には三角形。天に頂点が位置して、上部に白い鳥が大きく描かれる。三角の周りにはグラフティタッチでこうもりや目の絵文字がある。ペインティングの大部分を占める膨大なテキストは、読みきれない。

MOBBY DICK(白鯨。ハーマン・メルヴィルの小説のタイトル)」「CBS(アメリカ最大の放送ネットワーク)」

チラ見えする言葉も、記号も、全て「意味深」だ。しかし、このペインティングにおいては、その意味深さを作る記号の体系すらも、溶解しているようだ。

目の前に浮かぶ自分や社会の中で言葉と結び付けられた参照元は浮かぶものの、特定の知的体系では理解できない。むしろ、そういう体系が溶け出して流動的になっていることが作品性だ。

ハイチとプエルトリコのミクスドとして生まれ、「ブラック・アート」として初の国民的スターとなったジャン=ミシェル・バスキア。彼はこの作品を描いた2年後の1988年、ヘロインの過剰摂取により27歳で急逝した。

活動期間は、わすが10年ほど。死後30年を経て世界一のラグジュアリーカンパニーに所蔵され、東洋のアントレプレナーから123億円で落札され、日出る国の天空の美術館で多くの観客を集めるまでになった。

(※註)バスキアは70年代後半ティーンエイジャーの時、友人アル・ディアと”SAMO(セイモ)”というグラフィティ・アートのユニットを創り、ニューヨーク中に暗号のようなグラフィティと ‘SAMO©’ というタグを残し話題となった。

” Untitled(無題)”

六本木の天空にある森アーツギャラリーでは、間も無く展示が終了するからか、休日だからか、なんと80分待ち。こんな混み合った状況は、アンディ・ウォーホール展以来だった。


ZOZOの前澤コレクションをきっかけに知ったのか、20代のカップルや親子連れも嬉々として並んでいる。

その中に、エッジーな空気を漂わせるおじさまも・おばさまもチラホラいる。「80年代に、ウォーホルやバスキアの洗礼を受けた」と思しき風情だ。当時は芸大生だったのかもしれない。

向こうでは、カップルが、バスキアがスプレーで壁や車にグラフィティを描く映像を見ている。

彼が彼女に「わ!あの蓋のとりかた見た?!ヤバイ!おれ、あれ、ヘアスプレーで真似しようかな?!」と話してる。一方、彼女は、彼氏そっちのけで「かっこいいー…」とまるで恋するような熱い眼差しをバスキアに送っている。

いや、この時のバスキアは当時20才そこそこだろうから、彼女より年下だろうに…。とはいえ、彼は若い時から大人びたいい男だっただろうからね。無理もない。バスキアは、有名になる前のマドンナとも付き合っていたことでも有名だ。

バスキアの過ごしたニューヨーク、ブルックリンはシリコンバレー化した超高級エリアではなく、ヒップホップ、パンク、グラフィティ、ストリートだった。

マイアミのバスキア

2012年。


私がマイアミのルベル・ファミリー・コレクション(※註)を訪れたとき。

陳列を眺めている中で、「あれ?これ、いいな」と思った作品があった。スケールの大きな名作が数々並ぶといえども、それは、けっこう、珍しい。キャプションを確認すると、バスキアの作品だった。「やっぱり」。

バスキアの様式は、見分けやすい。

大胆で有りながら絶妙なバランスのカラーパレット。
王冠、スカル(頭蓋骨)などのシンボル。
パリンプセスト(羊皮紙に書かれた文字を消して上書きすること)などの科学的フォーミュラが多用されてるからだ。

それらが、ドローイング(線画)のレイヤー、 スクラッチ、ペインティグ、フォトコピーやオブジェのコラージュの手法を通して混沌と組み合わされている。
これらが雑然とせず、まとまりとして一眼で「あ」と感じる強い効果を出す。「それを言うとおしまいだよ」なんだが、センスが良い。つまり、ビジュアルとして高い精度がある。

しかし、この時は、バスキアと気づかなかった。そして、無意識で素通りできないただならぬ空気を感じた。

(※註)現代美術のメッカであるアメリカにおいて、最大のコレクター一家のひとつ。財団としてコレクションを見せる美術館を運営している。

Onion Gum”,1983, Jean-Michel Basquiat,
Courtesy Van de Weghe Fine Art, New York

ポップを食い破る

「あれ?これ、いい!」というのは

「素敵だね」とかではなく、実物の前にいると、とにかく強烈な密度と圧を感じるのだ。


言葉、イメージが弾丸のように容赦無く降り注いでくる。
作家の強迫的な意識の流れにさらされ叩かれてるようだ。これは、全ての作品に共通している。日本の展示でも、ミュージアムショップで絵葉書になったものをまじまじと観てみたが、まるで同じ作品には見えなかった。

内/外、支配/被支配、裕福/貧乏 などの体系を利用しながら、それをうちから食い破り、臨界点を超えているから。そういう意味では、バスキアは、かけらもポップではない。ポップとは強い記号性なのだから。

個人の欲としては、有名になりたかったのかもしれない。しかし、有名になりすぎて、どこかで、それすらも溶けて消えた。消えた後にも止まらない圧力。実質10年間の活動をかけ抜けて、本人の肉体の機能もストップした。

「20世紀 現代美術」は色々あれど、ポップの帝王・ウォーホルと、一見ポップに見えてポップを食いやぶる動力をひめたバスキアに尽きるのかもしれない。

“Self Portrait”, 1985, Jean-Michel Basquiat,
Private Collection
作品の一部。

バスキア展 メイド・イン・ジャパン

バスキア研究の世界的権威ディーター・ブッフハート氏がキュレーション。日本オリジナル展示130点。

▶︎ 展覧会スペシャル・サイト

● 会期:2019.9.21(土)~ 11.17(日)
※休館日9月24日(火)
● 開館時間:10:00~20:00(最終入館 19:30)
※ただし9月25日(水)、9月26日(木)、10月21日(月)は17:00まで(最終入館 16:30)
● 会 場:森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)アクセスはこちら

梅澤さやか