
こんにちは。
日本文化の真髄を学ぶ『ムーサの研究会』を主宰する梅澤さやかです。
韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が快進撃でした。アカデミー賞とカンヌ映画祭の最高賞。オスカーでは4冠!日本でも観客動員数220万。
え、何?あなたも観に行きました?
アジア映画が認められるのは嬉しいですよね。
では、『パラサイト』に負けずとも劣らない、いや、スピルバーグ、ルーカス、ゴダール、イニャリトゥなど世界の監督が「バイブルのように崇められてる日本映画」をすらすら挙げて、それぞれの魅了をズバッと一言で説明できますか?
私は、大学で映画研究会に入っており自信満々だったのですが(笑)、先日アメリカ、イギリス、中国と各国から友人が集まっているときに映画の話になり、みんなが私以上に日本映画に詳しく、みんなが盛り上がる中、うなづくだけの私。。。
あえなく玉砕でした…OTZ
映画は、世界共通語!
トレンドだけではなく、「基本のき」の文化があると「お前、わかってるな」となり、もっと互いに深い話ができたのに!日本人として、一つ認めてもらえたのに!
日本文化を教養として身につける大切さが身に染みました。
そこで、今回の記事です。

✔️コンセプト:
世界の映画監督のバイブルとして崇められる【珠玉の日本映画・5選】の名前はもちろん、その魅力を、一言で伝えられるか?紐解く。
✔️こんな方へおすすめです:
・ 日本映画の魅力を人にも伝えたい。
・ 海外の友人と深い話がしたい。
・ 日本文化の教養を身につけたい。
・ 日本映画の「基本のき」をさらいたい。
・ どうせ観るなら自分の宝になる映画がいい。
✔️この記事を読むことで学べること:
スピルバーグ、ルーカス、ゴダール、イニャリトゥなど世界の監督が「バイブルのように崇められてる日本映画」の魅力(価値)。
記事を読んだ上で、自分なりに「ズバッと一言で」言えるように。
まず、5選だけ先に書いてしまいます。
というのも、セレクト自体は、たぶん、誰が選んでもほとんど変わらない(笑)。
日本映画黄金の50年代・四大監督の代表作4作とそのルーツ1作からなります。リスト自体にはあまり価値はありません。
今回の記事では、『ムーサの芸術論』なりに「その魅力」をまとめることにフォーカスしたいと思います。
【珠玉の日本映画・5選】
❶ 東京物語 (1953)…………………………. 監督:小津 安二郎
❷ 羅生門(1950) …………………………. 監督:黒澤 明
❸ 雨月物語(1953) …………………………. 監督:溝口 健二
❹ 浮雲(1955) …………………………. 監督:成瀬 巳喜男
❺ 丹下左膳余話 百萬両の壺(1935).. 監督:山中 貞雄
私が観たこともない古い日本映画に誘ってくれた亡き淀川長治さんに感謝をささげながら。
では、まず今日は、第1弾『東京物語』から、参ります。
❶ 東京物語
監督:小津 安二郎 / Yasujiro Ozu
1953年
◆物語:
尾道で暮らす周吉(笠智衆)とその妻・とみ(東山千栄子)が東京にくらす子供たちの家に来る。しかし、長男・幸一(山村 聡)も長女・志げ(杉村 春子)も日々の生活に余裕がなく両親をもて余しつれない。優しく迎え入れてくれたの戦死した次男の嫁・紀子(原 節子)だけだった。周吉ととみは心安らぐが…。
◆データ:
✔️イギリスで、世界一の映画に認定。
世界の映画監督358人が選ぶベストワン映画で、1位に。
(イギリス映画雑誌『Sight & Sound』2012年版にて。毎年1位の常連であるオーソン・ウェルズ『市民ケーン』、キューブリック『2001年宇宙の旅』を抜いての快挙。
✔️止まらないリスペクト。オマージュに事欠かない。
- ヴィム・ヴェンダース『東京画』
- ジャン=リュック・ゴダール『映画史』
- ジュゼッペ・トルナトーレ『みんな元気』
- 侯孝賢『珈琲時光』
- ドーリス・デリエ『HANAMI』
- 山田洋次『東京家族』
- ジム・ジャームッシュ『ストレンジャー・ザン・パラダイス』
- アッバス・キアロスタミ『5 five 小津安二郎に捧げる』
- アキ・カウリスマキ『コロンバス』 など
✔️映画史におけるトップバリュー。
- BBC「21世紀に残したい映画100本」に選出。
- MOMAニューヨーク近代美術館に収蔵。
- アメリカのヴォイジャー社「クライテリオン・コレクション」収蔵。
- 「山田洋次が選んだ日本の名作100本」
「年老いた夫婦が成長した子供たちに会うために上京する旅を通して、小津の神秘的かつ細やかな叙述法により家族の繫がりと、その喪失という主題を見る者の心に訴えかける作品」
(『Sight & Sound』「CRITICS’ TOP TEN POLL」2002年より

◆魅力分析:
一言でいうと:緻密な演出により、平凡が非凡に。
それを可能にしたわけ:
❶ 平凡が非凡に反転
❷ 究極の秩序「小津調」
❸ 日本の父・笠智衆と、聖母・原節子
「緻密な演出により、平凡が非凡に」そのわけを3つの観点から追ってみます。

❶ 平凡が非凡に反転。
この映画は、人類普遍のテーマ「人の生死」を描いてます。それを担うのは、歴史的有名人でも、メッセージを抱えるマイノリティでもなく、平凡な市井の家族。
それを起承転結の起伏による演出排除・「人間は●●だ!」などのメッセージ排除で、徹底してすみやかな映像に定着させてます。だから、多くの人がこの映画を観た時「つまらない」「単調」「退屈」と感じます。普段の生活と変わらないんですもん…!
もし没入感で得られるカタルシスが映画の評価であれば、この映画はつまらない映画です。だって….. こんな映画観たいですか?→→「尾道の老夫婦(今見ると、そんなに老人に見えない件は置いておいて)が、20年ぶりに東京に出てきて、子供は忙しいしうとましくされて項垂れ、でも義理の娘はなんか優しくて癒され、家に戻ってきて「やっぱ孫に会えたのはよかったなー」ってなった後に、母は逝く。葬式は、やっぱり普通に慌ただしく終わり、ま、こんなもんだねで終わった」
いや、エピソード話されただけなら、観たくないよね?
むしろ「貧乏人の家族が偽装して金持ちの家に侵入する映画なんだ」って聞いた方が、観たいですよね。
壮大なテーマに小さく平凡な人たち、平凡な時間の流れ。
しかして、この平凡さが鍵でした。観客がそこに息を合わせていくと、あるところで、この平凡さが反転して、すごい非凡に見えてきてしまいます。ひっくり返ると、観ている側の想像力が駆動しはじめて、こんなに面白い映画もない。小津自身はそれを「アクシデントではなく、ドラマ」と話しています。
それを可能にしたのが「小津調」と言われる緻密な演出です。



❷ 究極の秩序「小津調」
「小津調」は、小津安二郎の映画に共通する演出により生まれた「映像世界」です。
構図・美術・色彩・俳優の動きなど、「ここまでやるのか」と驚くほど、全てが緻密に設計されています。小津自身はこれを「画面を清潔に保つ」と話しています(※註)が、そんなさりげないものではあません。
最初は、小さな雪がさらさら降っているだけだったのが、少しずつまるまって玉になり、やがて全てがあわさり雪崩のように秩序だったひとつの映像世界が強烈に立ち上がってくる。一見平凡に見せて、映像が見せる世界は非凡!これが小津の真骨頂です。
例えば、
- ローアングル/ローショット
- 1:1.33のスタンダードサイズ
- フィックス・ショット
- パン、オーバーラップ、フェイドなし
- バスト・ショット
- 切り返しショット
- アクセントとしての赤
- 美術品の使用
- 俳優のオブジェ化
- 会話の間は常に16コマ
- 反復が多く単調な台詞回し
- 空ショット
- 切り返し
- 畳の縁を映さない
- フレーム内フレーム
などなど…。
枚挙にいとまがなく、これだけで多くの研究・論考が書かれているほどです。
例えば。映像をみはじめて、すぐに気づくのが独特の間合い。
長いですよね。今はテレビでもなんでも、みんな早く喋ってるし、間もない。だから、この間が不安になる人もいるかもしれないけど、これに委ねてると1/fのゆらぎのように気持ち良くなってくるんです。
これは、1人の役者が話終わった後に「10コマ、6コマ=合計16コマ」置く。
という黄金ルールを頑なに守りループし続けてることでも生まれてくるリズム。つまり映像が呼吸してるような感じになるんです。あれ、ここまできて気付きました?
呼吸=生死(エロスとタナトス)
=バイオリズム
=究極の普遍
なんです。これ、頭脳で考えて受け取るのはむりだけど、『東京物語』の映像に息を合わせてると、自然に受け取れるから、ぜひやってみてください。
このように通常の映画文法をとり入れないゆえの「不自然さ」が異化効果をあげていたり、独特のエロスとタナトス(生々しさと神聖さの同居)を醸している演出もたくさんあります。小津は、1作品だけではなく、何作品も小津組と言われる同じスタッフ、笠智衆・原節子といった同じキャストで同じ演出を繰り返し続けました。
そして、小津調の映像効果は、絶大でした。
詳しくは、したに参考文献をあげるので、興味ある方はご覧ください。
●『監督 小津安二郎〔増補決定版〕』
(ちくま学芸文庫/ 蓮實 重彦 (著))
●『ユリイカ 2013年11月 臨時増刊号 総特集=小津安二郎 生誕110年/没後50年 』
(青土社)
●『松竹の映画製作の歴史 Part10 小津調』
(松竹)
●『2018年に名監督・小津安二郎の“狂気”がバズった理由』
(文春/ 映画研究家・伊藤 弘了(筆))
(※註)「私は画面を清潔な感じにしようと努める。なるほど汚いものを取り上げる必要のあることもあった。しかし、それと画面の清潔・不潔とは違うことである。映画ではそれが美しくとりあげられなくてはならない」
松竹株式会社 『小津安二郎新発見』 (講談社/1993年)より。

❸ 日本の父・笠智衆と、聖母・原節子
とはいえ、いくら映像が呼吸してて気持ちよい!だと、このままでは寝てしまいますよね(笑)
そこで、出てくるのが「人の顔」です。
誰しもが自分に近しく、また普遍的な存在として惹かれる「人の顔」。日本の父・笠智衆と、聖母・原節子です。
彼らは、どのように普遍的な存在としての顔を持てたのでしょうか?
ここで出てくるのが、また小津調。小津調では、俳優は自ら演技を行う存在ではありません。
座る位置やポーズ、顔の傾け方、目線、間合いまで厳密に演出がなされました。撮影では、まず大道具・小道具が厳密に配置されて(コップに注がれる水の量まで絵をきっちり決めて)、それから俳優が入ったといいます。そういう意味では、俳優も「オブジェ」。
さらにセリフは単調に感情をおさえて。先ほど取り上げたように一人の人物が話終わってから、次の人物が話すまでは16コマ。
俳優も、映画と調和して呼吸を合わせることが求められました。
しかし、この極限まで突き詰めた演出により、登場人物には普遍的な存在感が醸されました。
その代表格が、日本の父・笠智衆と、聖母・原節子です。
彼らは、小津調により日本のアイコンになったのです。
アイコンは、万人にとって父 / 聖母を体現する存在です。人の形を取っていて親しみを感じながら、神聖で遠い。「ああ、お父さん」と呼び掛けたくなる威厳を感じたり、「ああ、娘よ」と癒されたくなる優しく気品ある美しさを持っていなければ、なりません。
父・笠智衆と、聖母・原節子は、アイコンとしての天性の才を備えていました。そして、それが小津映画で花開いたのです。
2人は、小津映画で何度も同じ役名で起用されました。ラヴェルの「ボレロ」のように、意味もなく同じモチーフをひたすら繰り返され続けると、人は神聖さを感じてくるんです。
今はもう、そんな存在、いませんよね。だから、余計に尊く感じます。
◆(おまけ)個人的に愛してるところ
小津調を担う松竹配給の小津作品の撮影監督(キャメラバン)厚田 雄春さん。
何せ、カメラマン人生、ずっと小津作品。映画はチームですね。厚田さんが語るには、ローアングル/ローショットは、小津が人を見下ろす俯瞰が好きじゃなかったかららしい。だから水平の視線ができたとか。しかし、あれをやるためには、相当セットが大きくて、カメラを後ろにひかないと無理らしい。
なんだか、石を立てずに石を寝かせた近代の庭師・小川治兵衛との共通点を感じてしまいます。

INFO:
モノクロ
スタンダード・サイズ
136分
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
製作:山本武
出演者:笠智衆、東山千栄子、原節子、杉村春子、山村聡
音楽:斎藤高順
撮影:厚田雄春
編集:浜村義康
製作会社:松竹大船撮影所
配給:松竹
公開:日本の旗 1953年11月3日
上映時間:136分
製作国:日本
言語:日本語
今回は、以上です。また次回、お会いしましょう!
梅澤さやか

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