
「能楽」(能と狂言)は、日本最古の芸能といわれ、ユネスコ無形文化財にも登録されています。しかし、「舞台をみる機会が中々ない」という方も多いのではないでしょうか?
ちなみに、私もその1人でした。かねてより「観たいなあ」と思いながらも、縁遠く、足を運んでこなかったのです。
ところが、月1で参加しております「庭めぐりの会」主宰の表象文化研究者・原 瑠璃彦くんが、能と庭が専門だったのです。ありがたくも「どんな能がいいの?」と気楽に信頼おける情報をきける方がついにできて、はじめて足を運んだのが、2018年の8月でした。感謝!
その日の衝撃で、以来、わたしは月に2〜3回は能楽に足を運ぶようになったのです。
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<前回の記事>
■【 日本の芸術を愉しむ: はじめての能楽 】
こちらから>
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✔️この記事を読むことで学べること:
ゴールは「短時間で 能楽のエッセンスがわかる!」
能楽は、どんなお金を出してもできない幸せ体験が可能です。それはどんなもの?何故、それが可能なのか?そんなの分かっとるよという上級者の方は「海外の人に能楽の魅力が伝えられる!」視点から読みかえていただければ幸いです。
✔️こんな方へおすすめです:
・ 日本文化の魅力を人にも伝えたい。
・ 海外の友人と深い話がしたい。
・ 日本文化の教養を身につけたい。
✔️目次:
1. 能にして能に非ず
2. 【翁(おきな) 】のほほえみ
3. 観世宗家・26代のパイプから降ろされる神 — 観世清和の『翁』
4. 「よろこびありや」の気が満ちる — 野村萬斎の『三番叟(さんばそう)』
5. 翁の秘密「4つの寿ぎの言葉」

1. 能にして能に非ず
「翁(おきな)」と聞いて、何を思い浮かべますか?
おじいさん、長老。中には、「宿神(すくしん)」なんて、即答された方は、民俗学・通ですね。今日とりあげるのは、能楽の【翁(おきな) 】です。上の能面はそこで使われる白い翁の面「白式尉(はくしきじょう)」です。
【翁(おきな) 】は、「能にして能に非ず」と言われます。そこに能楽のエッセンスが詰まっています。
それは何故でしょう?
能楽のエッセンスとは、どのような社会情勢・人生であろうと
「幸福をまし(寿福増長)、寿命を延ばす(遐齢延年)」。
これは私の持論ではありません。室町時代に猿楽能を大成した世阿弥がしたためた芸術論『 風姿花伝 』に書かれ、その祖先である観世流でも根元として受け継いでいることです。(※1)
(※1)『新訳風姿花伝: 六百年の歳月を超えて伝えられる極上の芸術論・人生論』( 世阿弥/著、26世 観世宗家 観世清和/編訳 | PHP研究所)P25より「先代家元の観世左近も、「寿福増長」という言葉を好んで使いました。(中略)日頃も私に向かって「『寿福増長』はいい言葉だね。能の根元にあるのはそれだよ」と繰り返し話していました。」
「幸福をまし(寿福増長)、寿命を延ばす(遐齢延年)」能楽のはじまりとして、争い・飢饉・病を祓って、集う人みんなで協力して幸せな未来を迎えよう!と「天下泰平、国土安穏」を祈り「五穀豊穣」を寿ぐのが【翁(おきな) 】だからです。
かつて、能楽の演目を行う前には、必ず【翁(おきな) 】が神事儀式として行われていました。【翁(おきな) 】の面はご神体です。楽屋では面箱におさめられ「翁飾り」という祭壇に祀ります。舞台に最初に面持ちが面箱を掲げて持ってきます。シテは素面であらわれ、舞台で面をつけます。これは他の曲ではないことです。
翁が大地に降り立ち、ここから世界が始まるよ、という所作なのです。これについて、囃子方 大倉流 小鼓方 十六世 宗家の大倉源次郎先生はこのように著していらっしゃいます。
舞台は宇宙、役者は神々。そこで行われるのは、天地開闢(てんちかいびゃく)、天孫降臨(てんそんこうりん)の場面というわけです。神々に模した役者が揃い、風である笛が鳴り、小鼓が「陰陽」を打ち分けることで、天地が分かれることを意味します。
『大倉源次郎の能楽談義』(大倉源次郎 著/ 淡交社)
そして、世界が始まった後に、やっと他の能楽の曲=人の世の物語が始まります。現在、能楽で「現行曲」とみなされてるのは、約200曲と言われていますが、【翁(おきな) 】は別格扱いをされているのは、そういうワケです。
2. 【翁(おきな) 】のほほえみ
去年の今頃のこと。日付は4月16日。
私は、奈良県 桜井市の多武峰(たのうみね)談山神社(たんざんじんじゃ)にて、能楽奉納【翁(おきな) 】を観ていました。2012年から行われてる奉納の7回目のことです。冒頭に書いたように初心者ですからね。【翁(おきな) 】は観るのは、それがはじめて!
談山神社の場所はこちら>

都会や里よりは遅い山の春。
朝一で京都を出て、うとうととしながら近鉄京都線からJR桜井線に乗り継ぎます。桜井駅に降りると桜が満開でした。
舞台に向かって、下手にはプリツカー賞をとったばかりの磯崎新さん。
上手には、現代美術家の杉本博司さん。
そうそうたるメンツが、この奈良の奥深い山にやってきています。
その日、私は腑に落ちました。
能楽の形を超えたところにある【翁(おきな) 】の「ほほえみ」が日本を支えてきたと。そして、その秘密を後から知ることになります。

白鳳7年(678年)に建立。現存している塔は享禄5年(1532年)に再建されたもの。
3. 観世宗家・26代のパイプから降ろされる神
観世清和の『翁』
最初の詞章は「とうとうたらり〜」から始まります。
瞬間、「キタ…」。その場に完全にしあわせがみなぎりました。
卑近な例でごめんなさいですが、プレゼンでは始まってから30分が集中力低下のピークになると言われます。つまり、集中力は徐々に上がりピークで下がる。
なのに、冒頭からピークタイムがきた。
完全に整った清浄な空間の中に幸福がみなぎる。最初からこれがピタッと合ったことだけでシビれました。
若者が舞うツレの『千歳(せんざい)』が終わり、登場するのがシテの白い翁。
能楽師が演じます。この日は、観世清和さん。
室町時代の観阿弥・世阿弥の親子がひらいた観世流。初代から数えると26世・観世宗家。この時、「さすが宗家(家元)…..。神がかってる」と思いました。約700年をへて不惜身命の覚悟で継いできた芸は、個人の枠を超えてます。面をつけて演じる人の姿はそこにはなく、まるで26世と一緒に先祖全員がひとつのパイプをつくり、神を降ろしてるかのよう。
目の前で「翁(おきな)」という神が舞っていました。もし26世がスピーカーだったら、スタジアムで使うスピーカーよろしくビリビリ振動してるのが見えたと思います。
「よろこびありや」の気が満ちる
野村萬斎の『三番叟(さんばそう)』
そして、次が、狂言方の出番です。
黒い翁の『三番叟(さんばそう)』を演じるは、野村萬斎さん。
これがまた福福しかった。大和の地の桜満開の中、まさにリアル花さか爺さん!「よろこびありや」と寿いでいただき、もうありがたさ満点。
どん!どん!と大地に足を踏みしめると、この世の汚れが祓われ、土地に力がみなぎる感じがします。アクロバティックなジャンプをすると、パッ!と花が咲いたり、稲穂があたまを垂れて実ったり、元気に魚が跳ねるよう。生命の息吹がぴちぴちとモノに宿っていきます。言霊と所作の力はすごいですね。
終わった後に、観賞ベテランの先輩方が「萬斎さん、◉度もジャンプしてたよ!」と驚いてました。いつもより、1回多く飛ぶ場面があったらしい。何度も観ている方がこれだけ感動してるのですから、この日はやはり格別の気が入っていたようです。

自然と人が波打つ場
見惚れている耳に響くのは、小鼓が「トンッ….」と打たれる音。続いて「ッッ….. 」と、山に吸い込まれて深い反響が返ってきます。あー、この音を出すために小鼓はあるんだなー、なんてうっすら思いながら、後ろでは、水のせせらぐ音がします。
自然とわたしたち人間が、互いに波打ってる。
自分が消えてるわけではないけど、一体になってる感覚。
能楽の7不思議のひとつは、演者も後ろのお囃子(はやし)も謡(うたい)も、誰も「指揮」する人がいないのに揃うことなのですが、その日は、自然に抱かれ場がひとつに。何も大袈裟で面白いことがないのに、自然に翁のようなほほえみが漏れていました。

翁の秘密「4つの寿ぎの言葉」
この感動の背景に、【翁(おきな) 】のおどろくべき秘密があったことを後日知りました。
それを明かす前に、まず、翁の全体像をさらっていきましょう。
【翁(おきな) 】の様式は「式三番(しきさんばん)」と言われます。下記の3つのパートを連続して演じられます。ちなみに、『千歳(せんざい)は、あくまで露払いです。元々の一番目は『父尉(ちちのじょう)』ですが、室町時代以降は省略されていますので、ここでは入れていません。
ですので、今のメインは白と黒、2人の翁に絞られていることがわかりますね。
❷翁(白色尉)と ❸三番叟(黒色尉)です。
さて、この式三番で網羅している「ある事」が【翁(おきな) 】の秘密です。

それは、4つの寿ぎの言葉で構成されているということです!!!!!!!!
<【翁(おきな) 】4つの寿ぎの言葉>
❶ 古代
❷ 今様(※ 作られた当時の現代)
❸ 和文(※ 祝詞と同じ)
❹ 漢文
【翁(おきな) 】では、この4つの言語背景をもった寿ぎが、次々と現れるのです!
これは、前述した大倉 源次郎先生の著書で知りました。詳しくはP14を読んでください。
能楽界隈の方には割と普通のことなのか、源次郎先生は「さらり〜」と書いておりましたが、私は本当に身震いしました。だって、つまり、ここに集まってるみんなで幸せな未来を迎えましょう!というのは、過去〜現在〜未来を継ぐために列島内外の各地から日本に集まりミクスチャー社会を作ってきた私たちみんなのための寿福増長・遐齢延年なのです。
【翁(おきな) 】では、そのために4つの言語を使って寿いでいるのです。日本が到達した「和合」のすばらしい心と実践がここにあります。
『翁(おきな) 』のほほ笑みは、すべてを抱合しています。日本人は、みんな、あらかじめ幸せになってしまう翁の寿ぎを実践し、翁みたいな老人になることを目指したら、幸福になりますね、きっと。
【翁(おきな) 】に迫る番組がNHK-BSで放映されます。
記事内で私が取り上げた談山能も出てきます。ぜひご覧ください。
◆ 番組名 ◆
『 翁 生命の舞 / OKINA Dance of life 』
▶︎【NHK BS-4K(49分)】
– 4月19日(日) 13:35 〜 14:25
– (再) 4月27日(月) 11:50 〜 12:40
BS-4K対応TV以外でもNHKと契約しているケーブルテレビ局からご覧頂くことも出来ます。
ケーブルテレビ一覧>
▶︎【NHK WORLD(49分)】
– 5月30日(土)
2020年5月30日 10:10 – 11:00 / 16:10 – 17:00 / 22:10 – 23:00
2020年5月31日 4:10 – 5:00
ライブストリーミングはこちら>
オンデマンド(1年間)はこちら>
(内容)
世界最古の歌舞演劇と言われる「能・狂言」。中でも特別な機会にのみ演じられるのが「翁・三番叟」だ。600年以上の歴史を持ち、その起源は謎とされる。この神秘の舞に注目しているのが世界的な音楽家・坂本龍一。今回、桜が満開の中、能・狂言ゆかりの地、奈良・談山神社で日本を代表する能楽師らが「翁・三番叟」を舞った。坂本は、その映像から日本文化の奥底に流れる“多文化共生”や“アニミズム”の思想を読み解いてゆく。
謝辞:
『大倉源次郎の能楽談義』をご紹介くださった大倉源次郎先生に深くお礼を申し上げます。源次郎先生は、文中でも取り上げた「多武峰 談山能」の総務を行っており、毎年奉納の実現に尽力されています。
また、最初に私を能楽の世界に誘い源次郎先生をご紹介くださった原 瑠璃彦さんがいなければ、この記事はありませんでした。お忙しい中、記事中の図の確認もしてくださったことで、頭の整理をして深く学ぶことができました!ありがとうございます。
梅澤さやか

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