日本に香りがきた道① 香りがつなぐ祈り。淡路島に流れ着いた香木

「日本に香りがきた道」をシリーズでお送りします。
初回は、3分でわかる「日本に香りがきたはじまり」です。

きっかけは、語り部・坂口 火菜子ちゃんとのウィークリー・インスタライブ【 花と火と風 】。「まどろみの記憶につながる香り」の話をしたら、ライブ後に、日本での「香道」とはどのようなものか質問をいただきました。

せっかくなので、このシリーズを始めることにしました。香りがどのように日本にやってきて、どのようなカタチに変化したか?歴史を辿ることで、臭覚を解放することを目論見してます。

では、どうぞ。

▶︎ご参照:ムーサの芸術論
衣服空間:メゾン フランシス クルジャンの香水・ウード

日本に香が入ってきたのは、どこからでしょう?

答えは、インドです。

インドから、中国をへて、飛鳥時代に仏教徒ともに日本にもたらされました。変遷はこの通り。

インドから、中国をへて、日本にもたらされる。

飛鳥時代:仏教の供香

平安時代:貴族の雅な遊び

鎌倉時代:武士の精神統一

室町時代:将軍のもと香道が確立

江戸時代:商人の嗜みに流行


こう見ると、日本ではインドやギリシア/ローマのように庶民には定着せず、豊かな上流階級のなかで香りが嗜まれてきました。

インドでは、高温多湿で芳香がとれる香料植物栽培にも適しており、古代から香辛料の世界的産地として栄えてました。紀元前4世紀には、古代ギリシャ・ローマも、「香の道」(Incense Route)を通して、インドから香辛料を仕入れていました。

そのため、インドでは、アラブほど香りが日常的ではないものの、さまざまな祈りの場面に香りが用いられる文化が発達してきました。何せ、ご存知のインド独立の立役者マハートマー・ガーンディー。彼の姓である「ガーンディーgāndhī」は、香料,香油製造販売,香辛料・食品雑貨を商う商人カースト名なのです。

さて、インドと言えばすぐ思い浮かぶであろう、ヒンドゥーの日常供養(プージャ)の主役は、実は香りです。

プージャでは、花、香、食物などの供物を献供します。しかし、プージャを体験したことがある方の記憶に強烈に残っているのが香りではないでしょうか。聖水をまき、香を焚いて場を浄める。その空間に、見えない神を招き、一体となる。香りが神と自分をつなぐのです。

儀礼の形は変われど、祈りに香りが用いられてるのは世界共通してますね。
これをインプットしておくと、その後の日本で香がもちいられていった歴史も納得です。

アーユルヴェーダの料理や治療にも使われるスパイス。

インドから日本には、2つのシルクロードを通じて運ばれてきました。
陸のシルクロード(下の図・青)、海のシルクロード(下の図・赤)です。

Image by: en:User:Wikiality123  シルクロードの変遷。大陸のシルクロード(赤)と海路のシルクロード(青)

インドの香り文化についてはこちらをどうぞ。
香りの迷宮を訪ねて/ 山本 芳邦(薬学博士)

淡路島に漂れついた流木からたちのぼる香り

さて、「香り」というと、何が思い浮かびますか?

香水、お線香、お香、アロマなどが思い浮かぶのではないでしょうか?
しかし、日本で「香」と言えば、「香木」です。

推古三年(595年)、淡路島に流木が漂着しました。
手でかかえられるほどの量です。
島の人は、それを香木としらず、竈に薪としてくべました。

すると….

煙とともに、なんともいいようのない芳香が薫ってきたのです。
驚いた人々は、この香木を推古女帝に献上しました。

日本への「香木伝来」の初めとされる『日本書紀』の有名な記述です。

「推古天皇三年の夏四月に 沈水淡路嶋に漂着れり
 其の大きさ一圍(ひといだき)
 嶋人 沈水といふことを知らずして 薪に交てて竈に焼く
 其の烟気遠く薫る
 即ち異なりとして献る」
 / 『日本書紀』より抜粋

聖徳太子の一生をまとめたとされている『聖徳太子伝暦』によると、

そのとき摂政だった聖徳太子はこの香木を見て「これこそ沈水香というものなり」とよろこんだそうです。さらに続いて、

これは又の名を栴檀香(せんだんこう)と言い、南天竺国の南岸に生ずるものでその実は鶏舌香、花は丁香、樹脂は薫陸香となり、水に良く沈むのを沈香(じんこう)とし、浮き沈みするものを棧香(せんこう)とすると解説したそうです。さらに話には尾ひれがもりもりついて、、「太子はこの香木で法隆寺夢殿の観世音像を刻んで、余った木が「法隆寺」と命名されたとのことで、太子伝説も残っています。

名前がいっぱい出てきてよくわかりませんね(汗)

まず、「沈水(沈香)」=「栴檀香(白檀)」というのは間違いです。
で、記述からは、この香木の正体が、「沈水」=沈香(じんこう)なのか、「栴檀香(せんだんこう)」=白檀(びゃくだん)なのか?

よくわからないのです!

世の中的には沈香です、という説明が多いです。
流れ着いた香木の大きさからは、沈香ではなく、白檀だったのでは?という見方もあります。白檀なら、火にくべなくても香るので、やっぱり沈香ではないの?という可能性もあります(ループ)

今となっては謎ですね。

真偽のほどはわかりませんが、面白いのは、香木の芳しい香りが、淡路島の島人がびっくりするくらいのインパクトがあったということ。朝廷では、これを仏からの瑞兆と受け取ったのか。その後さらに仏教の普及に力を注いでいきます。

さあ、これを飛鳥時代の人たちは、どのように重用していったのでしょうか?
次回は、仏教の儀礼における香りについて見ていきたいと思います。

◆沈香については、前回の記事で紹介しましたので、どうぞ>
-《 衣服空間:メゾン フランシス クルジャンの香水・ウード

◆香木について
麻布 香雅さんが記した日本に漂着した香木は白檀だったのでは?コラム
-《 香木の正体 》/麻布 香雅