輪島漆器の革命者。うつわの美しさを追求した角偉三郎

角偉三郎(かど いさぶろう)。
2020年の今、何人の日本人が、この人の名前を知っているでしょうか。

– 輪島の異端児。
– 近代の名工。
– 漆器の概念を変えた革命者。

80〜90年代に、角さんが時の人だった頃、その名を目にした人も多いかもしれません。
わたしが角さんの作品にであったのは、なくなってから。京都にいくと必ず寄る『ギャラリー日日』さんででした。実をいうと、その時、漆器の前知識がないだけなく、むしろいまひとつ興味がなかったのです。なのに、誰とも知らない作品を見るなり一目で惹きつけられました。

華美な装飾性は一切ない。 これまで知ってる漆器と違う!
生命力めらめらのオーラ。 健康的な美しさ。

木地、カタチ、塗り。 「これしかない」 ところに落としこまれた揺るぎないうつわ。
どうやって生まれたのだろう? その理由は、角さんの経歴をたどると納得でした。

1940年、輪島。 下地職人の父、蒔絵をする母のもとに生まれた角さんは、10代から伝統技法の沈金を学びました。60年代アメリカの現代アートの洗礼をうけ、漆パネルなど漆の美術作品を発表。斬新さで一世風靡しました。

ところが、一転。
ある茶碗との出会いにより、角さんのモノづくりは「美術」から「うつわ」へとガラッと変わっていきます。それが、輪島塗のルーツと言われる旧柳田村のシンプルな合鹿碗(合鹿地方で作られる漆椀)でした。

豪華絢爛な蒔絵がメインストリームだった漆の世界では、廃れて生産されなくなってしまっていました。それを地元の人と共に復活させた立役者が角さんでもあります。

角さんについては、様々な記録があります。

中でも、東京の編集者だったのに、漆器に魅せられて輪島の塗師(ぬし)となった赤木 明登さんが記した『漆 塗師物語 』に登場する角さんの話は、その人柄を鮮やかに描いており出色です。

東京という外側から輪島の中に入って行ったからこそ保てる視点や書ける話もあるのでしょうか。赤木さんは、スターでありながら地域では異端であった角さんを眩しく見上げ追っていく中で、独自の路線をきずいていかれました。異なる人生がある時期、強烈に共鳴しあい、そしてまた互いの軌道に戻っていったいきさつは、まるで映画を見ているようです。

生活の中で、「両手で掴み」「口唇にふれる」。

使われるうつわの美しさを追求し、角さんがたどり着いたのが「空気が必要とするかたち」 でした。

彼の作品の後ろには、「星」が描かれています。「神像」がおおく残る能登半島には、大いなる自然をカタチにする魂が、時折、星から降りてくるのかもしれません。

角 偉三郎さんの作品が見られる本

▶︎漆人―角偉三郎の世界
▶︎角偉三郎の漆と書
▶︎角偉三郎 漆芸 (NHK工房探訪・つくる)

梅澤さやか