玉三郎《鷺娘》。本物と過去映像の掛け合いが消化不良だった訳は。

歌舞伎座で、玉三郎が踊りおさめたはずの《鷺娘》の再演がありました。歌舞伎座の大掛かりな舞台装置を紹介する口上と、過去の《鷺娘》映像と、今の踊りの共演で、お客さまを楽しませようという趣向です。

生の舞台ですから、やはり映像だけでは物足りない。すると本人が踊るのはどこか?になるけど「踊り納めた」というからには、全部踊っちゃいけないんだろう。では、それがちゃんと見せ物として成り立つのかに興味があり、観に行きました。

とはいえ、半分以上は、久しぶりに歌舞伎座に行く名目が欲しかっただけかもしれません。東銀座にある歌舞伎座の華やかさは、格別ですからね。

結論から申しますと、玉三郎さんが踊るのは、始まりと終わりの一部です。
映像に映る若い頃の玉三郎のきれいさは格別すぎて、歳を超えても舞台に立つ姿は、夢のよう。何せ、ノンケの男性が玉三郎さんを観て「ポーッとして、自分はその気があるのかと思った」というほどのオーラです。わー、綺麗ねえ…とも思いつつ、何か良いもの観た!とスッキリしない観劇後。

映像はこのように使う前提で撮影してないから、音が立体音響ならどんなに臨場感がちがったかなとは思いますが、やはり単純に「踊り納めた」のであろうとなかろうと、「今」のご本人が踊れば手を叩いたんだと思います。

口上で仰ってたとおり、演者と《鷺娘》という演目には、ご縁があったのだと感じただけに、美しいままの過去にそれを閉じてしまったことに、人としての業を感じました。けだし、そこに玉さまファンはグッとくるのかもしれません。