「能楽」(能と狂言)は、日本最古の芸能といわれ、ユネスコ無形文化財にも登録されています。このシリーズでは能楽を「舞台でみる機会が中々ない」方へ向けて、かつてそのように見送り続けていたのに今は「月1回」は能楽堂に通い続けて2年がたった私から、ど初心者でも楽しめる能楽入門をご案内しています。
✔️ 能楽紹介の記事が多い3つの理由
ところが、このブログでは、けっこうな割合で「永遠の初心者である私」が、能楽の楽しみをご紹介しています。理由は、
①いざ観はじめたら、良く観る機会が多くなった。
②良く観る様になったのは、良いものを紹介してくれる人がいるから。
③ハマったから。観たとしても悪ければ書かないわけで、他の鑑賞物に比べて心が動くことが多いから。
の3つが理由だと思います。
✔️ これまでの能楽記事はこちらです。
私自身の好みや関心とマッチするのはもちろんですが、この魅力を皆様と共有できればと、少しずつ記事が増えてきました。
ご参考までに、過去で取り上げた能楽記事はこちらです。
■ 日本の芸術を愉しむ: はじめての能楽 ■ 狂言で体験する「へんな笑い」──国立能楽堂 開場 35周年 記念公演 ■ 未来を寿ぐ能楽【 翁(おきな) 】 ■ 能楽《道成寺》は聖婚物語? |

観終わった後「…………..。」となる。
では、今回はじめて観ました《砧》の見どころ(個人的見解)についてご紹介していきます。
結論からいきます。観ての感想。
……………。
また言葉がなくなってしまいました。
幸福なことに!
これは、言葉がなくなるほど深い思いが広がっていったからです。
こういった体験は、なかなか能楽以外のジャンルではないので、こういう状態になる(可能性がある)舞台として、まず価値があると思います。
その辺が見どころに関わりますので、説明していきたいと思います。
①舞台の選び方(汎用)
正直、能楽舞台で、毎回その様な「じわー………….。」の体験があるわけではありません。
「いまいち」「外れ」というものもあります。
眠くなる夢うつつに入っていくのが能はいいのだといっても、つまらなすぎて寝てしまうものもあります。
まず、見所以前に、当たり前ですが、それなりの舞台・演者を選べることが楽しめる上では大事です。かといって、初心者はわからないものですよね。私も経験が少なく、正直、わかりません!
今回の場合は、シテ(主役)である観世流能楽師・坂口 貴信さんに、友人がお稽古をつけていただいてたことから、ご紹介いただきました。その友人からかねがねいかに坂口先生の舞台が素晴らしいかをプレゼンされていたので、一度は拝見したい気持ちが醸成されてたのです。
観たら、大正解!でした。
というわけで、信用できるセンスの持ち主から、推薦してもらうのがまずは一番だと思います。
慣れてきたら、自分で選んで観たいものも増えてくるはずです。
それは次のステップですね。
基本は「推し」を見つけて追っかけるのでいいと思います。
舞台に入り込めれば自然に演目や歴史背景にも興味が出ていくので、そのうち「演目の推し」が出てくるかもしれません。私も11月は「万作の会」で野村万作さんがすごく大事にしている演目であり、なかなかフルで上演されないという【《釣狐》を観る会 】に伺うのが楽しみです。
ちなみに、この会では、知人であり地元も同じ中村修一さんが初めて《釣狐》をかぶく(初めて舞台で演じる)ので、それも期待しています。こんな風に、「演目 x 演者」の掛け合わせの意味があると楽しみが増しますね。
②舞台前に知っておいた方がいいこと。(汎用)
さて、じゃあ、舞台をいざ観ます。
事前に知っておいた方がいい知識や、読んでおいた方がいいものはありますか?
という質問をいただいたことがるのですが、ネタバレ好きな人・そうでない人、しっかり学びたい人・ひたすら感じたい人など、好みが分かれるので、自分のスッキリする範囲で良いんじゃないかと思ってます。
1つ言えるとしたら、良い舞台は知らなくてもたのしめます。
とはいえ、古典ものは同じ演目を過去700年余にわたって繰り返し演じられてるもので、今の感性だけではわからない「ルール(そうなっているロジックと理由)」があります。それは最低限、「押さえた上で自由に観ていく」方が、最終的には目が肥えて楽しみが増すと、私は感じてます。
とはいえ、舞台で配られるパンフレットに、毎回、説明書きが載ってるので、それだけでも十分かと思います。
他には、演目なら【the 能.com】には割と網羅されてます。
【銕仙会(てっせんかい)】(観世流の一派)も充実してます。
ちなみに、砧の解説はこちら。 ① the 能.com> ② 銕仙会(てっせんかい)> |
能楽は、自分でも謡や舞を習ってる方が多いので、そういう方ですと、謡本(うたいほん)という謡の稽古用譜本を手元に持ちながら観ている方も多いです。
自分が演っていると、また違う視点が開いてくるのでしょう。
(私は、まだそこに至ってません。)
③《砧》の見所は、見所がないところ?
《砧》は世阿弥が自他ともに認める傑作と言われてます。
《申楽談儀(さるがくだんぎ)》(世阿弥の芸談を筆録した伝書)の中では、「かやうの能の味はひは末の世に知る人あるまじ」と嘆くほどに〈幽玄〉の決定版と言われています。
その見所は、見所がないところです。
取り立てて謡や舞に派手な緩急がないところが見所です。
それが〈幽玄〉なのです。
〈幽玄〉という言葉は、とても抽象的ですよね。
《砧》を観れば、言葉の向こうの「こんな感じ」がキャッチできると思います。
それには、少し内容をご説明します。
一言で言うと「晩秋の執心女モノ」と言うジャンルです。
ストーリーは極めてシンプルです。
中年女が都に訴訟ごとで行ったきり帰ってこない夫を恨み、無念のまま死に亡霊としてあらわれ、最後には夫の読経で成仏するという流れです。
タイトルの「砧」は、木槌で布地を打ちやわらげ、艶を出す道具です。
知らないとわからないですね。
東京の世田谷在住の方は、砧の地名がありますので、関わりがある方は、覚えておいてもよいかも?役にたたないけど、少なくともこんな道具なのかがわかると情緒は感じられます。
その砧を都の夫に通ずるようにと、シテの女はもの侘しく、こんこんこんと打つのです。
これが晩秋でないと成立しない風景です。
時が重なるほどに、これでもかこれでもかと畳み掛けてくるように、モノ寂しさが、しんしんしーんという音がするほどしみいってくる。
あえて言うなら、見所は「晩秋」です。
抑えていた思いが、抑えていた時間が長すぎて、抑えていたほどに、溢れて、溢れて、溢れて、仕方ない。そんな姿を、季節に重ねて抽象化してるところが凄まじいです。
シテには派手な緩急もなく、大変むつかしい役どころと想像しますが、これがうまくいくと、泡のように儚く消えていくのに無性に〈存在〉が浮かびあがり…。
はて、奇妙な夢を見たが、あれが夢なのか、ここが夢なのか、わからない。
荘子の「胡蝶の夢」を体験したような心持ちになりました。
これが冒頭の「……。」です。
④《砧》の年齢制限
最後にひとつ。
能楽に「年齢制限」はありませんが、この《砧》ばかりは、あえて齢40オーバーからお願いします。と言いたいです。(個人的見解)
酸いも甘いも精通してから、またこの先、枯れていく時に想いを馳せる感性がうまれてはじめて響く曲かもしれません。
コメントを投稿するにはログインしてください。